京王線の歴史

明治38年、「日本電気鉄道」設立
  日露戦争後の好況で産業界は沸き立っていた。この年、が「日本電気鉄道」設立され
  新宿−府中間の鉄道敷設を出願した。日露戦争後の好況で産業界は沸き立っていた。
明治39年、社名を「武蔵電気軌道」と改称。
 好況の後は不況、明治40年から大恐慌となり免許路線も着工しないまま43年を迎えた。
明治43年、9月21日、「京王電軌鉄道」と社名変更
資本金は125万円。  京王電軌鉄道の設立趣意書では、
 「国運隆盛し東京市は政治上の首府のみならず商業の中心であるので、内藤新宿を起点
 として、調布・府中を経て八王子町にいたる路線敷設の特許を得た。」とのべ更に沿線
 の風景を「都人士の住所として無上の仙境たり」と称え、さらに織物の町八王子、宿場町
 の調布・府中を紹介し、近辺集落の物産豊かなことをのべ、これが開通の時は「たちま
 ち東京府下における重要なる副都市」になると断言している。
大正2年4月15日笹塚・調布間12.2キロが開通。
  軌道間隔は4フィート6インチ(1.372m)。これは東京市街鉄道(後の市電)と
  新宿追分で連絡するため。  開業の日、電車を一目見ようと笹塚停車場には近郷近在
  からの見物人数百人がつめかけた。
  当時の電車はポール式木製四輪車、定員44名、車体8メートル、クリーム色と
  チョコレート色の塗装で、丸にKの社紋がモダンだった。
  郊外電車としては、京浜電鉄、玉川電鉄、王子電鉄、京成電鉄についで5番目。
  電車開業とともに、新宿・笹塚間・調布/府中/国分寺間に乗り合い自動車を運行。
  電車開通までの臨時措置であるが東京初のバス営業である。
     (大正4年電車開通に伴って、新宿・笹塚間の運行廃止)
大正4年5月  新宿(新宿追分、現在の伊勢丹はす向い)笹塚間開通。
  5年6月  調布・多摩川原(現京王多摩川)間1.1キロ 開通。
   10月  調布・府中間開通。新宿・府中間26.1キロに直通電車運転。
大正9年6月  新宿・調布間複線化。 12年調布・府中間複線化。
大正8年    新型車両導入。 定員64名の新鋭ボギー車が入線、新宿・府中間60分。
        30分間隔で運転。
大正12年 関東大震災。
  車両その他に多大の損害を受けたが4日後には一部電車の運行を開始、
  6日後に全面復旧。
大正11年 玉南電気鉄道 設立。
  府中・八王子間の鉄道建設を住民が熱望。地方鉄道法が施行され政府の補助が得ら
  れることになった。 この受け皿として玉南電気鉄道を設立。
大正14年3月24日

  多摩丘陵沿いの田園の中を、オレンジ色、86人乗りの新型ボギー車が走りはじめた。
  路線は単線。府中の次の屋敷分(分倍河原)から中河原・関戸・百草・高幡・平山・長沼
  北野・東八王子の9駅。
  府中・東八王子間を32分、運賃31銭。高幡不動尊境内の碑文に建設の経緯が記されて
  いるが、その中に「不幸補助法による補助をえず」とある。
大正15年  京王電軌が玉南電気鉄道を吸収合併。
昭和 3年  新宿・東八王子間直通運転開始。
  定員百名の鉄鋼車両。一日5.6往復のダイヤで68分。中央線の12往復70分より
  優位に立った。   直通以後、昭和5年開設の聖蹟記念館を始め、沿線は遠足の適地
  となり、乗客も増えた。
昭和12年  関戸・百草・高幡の各駅が現在の名称に変更。
昭和19年  陸上交通事業調整法により東京近郊の私鉄路線は6つのブロックに統合され、
  中央線以南の鉄道が併合し「東急」となる。東急の京王営業局となり、終戦を迎える。
   大戦中の空襲の被害甚だしく、変電所も被害を受け、電圧降下がひどく新宿駅南口の
  高架橋の坂が登れず、追分にあった駅を現在の新宿西口に移している。
昭和23年 「京王帝都」スタート
  東急から分離、旧帝都線が京王に委譲され、社名を「京王帝都」としてスタート。

昭和26年 新宿・千歳烏山間に大型車両による3両編成運転始まる

昭和30年 新宿東八王子間に大型車両による3両編成運転始まる。
  東府中・府中競馬正門前開通
  車両数162両。急行運転の間隔を朝夕15分・日中20分に新宿・東八王子間を53分に。

昭和32年 新宿・高幡不動間の急行・準急4両編成の運転開始。
  33年12月には全車両に暖房取付が完了。

昭和35年 桜ケ丘分譲地開発工事がスタート。
昭和38年 新宿地下ターミナル駅完成。営業開始。新宿・高幡不動間5両編成になる。
  アイボリーカー6両編成の特急が新宿・東八王子間を40分で走りはじめる。

昭和39年 高幡不動・多摩動物公園間開通
   動物公園は33年に完成・開園した。当時一日の入園者は予想をはるかに越え、午前9時、
   2万9千人を越えた。高幡不動から動物公園までア(約1キロ)1時間半を要していた。

   中河原駅と聖蹟桜ケ丘駅間の多摩川橋梁の複線化が完成。これにより新宿・八王子間37分。

昭和40年 桜ケ丘分譲地完成。
昭和42年 高尾線開通
昭和43年 冷房車導入。44年には全特急車両の冷房化完了。
昭和49年 相模原線開通
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