伊東 |
みんな土曜日が出やすいということで土曜日はほとんどつぶれましたね。他の日は夜八時からとか。当時はたまたま工場の勤務でしたので少しは時間がとりやすくて助かりました。
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司会 | 宇野さんは一丁目の副会長でいらっしゃいましたね、当時。
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宇野 | たまたま役員改選の総会に顔を出したのが運のつきで....(笑)。それで自動的に建設協議会にかかわることになったわけです。でも、あの体験は自ら進んで作れるものではなく、僕の職業、仕事にも関係するところがあって、楽しみながら学ぶことができてよかったかな、とふりかえって思っています。
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司会 | 私たちにとって宇野さんは救いの神的存在だったんですよ。喧々がくがく色々な意見が出て、これをどうまとめたらいいのか、素人集団が途方にくれている時、宇野さんがこれを引き受けて下さったのです。さすがに専門家、単なるアンケートのまとめではなく、基本的理念から始まるすばらしいレポートが出来あがりました。市の方も、予想以上の成果と評価して、他地域の建設協議会ができた時も、「ゆう」がモデルで基本構想が提示されたと聞いています。
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新美 | 宇野さんや河内さんの専門的な助言によって、「ゆう」は当初の計画よりスケールが大きく立派になってゆきました。金額的には知りませんがね。専門家による空間の取り扱い方やレイアウトを土台にして、市側に働きかけて、とてもいい形に進んだと思います。それをお人柄でしっかりまとめて下さったのが伊東さんです。
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河内 | ぼくは「ゆう」ができてからも二年ほど運営にもたずさわりましたが、本当にむずかしいのは運営ですね。この十年をふりかえって、このむずかしい運営はとてもうまくいっていると思います。ただ欲をいいますとある年齢の世代、いまバリバリ第一線で仕事をしている世代が少しここに入って来にくい状態ではないかと思います。
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司会 | ;「赤ちょうちん」構想....。会社帰りにちょっと立ち寄って、同じ地域なのになじみのない人たちと一杯やってコミュニケーションをはかれたら、という夢でしたね。
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河内 | 宇野さんたちと話したイメージ、ロビーのコーヒー喫茶はまだその役を果たしていませんからね、残念です。残念というか、未来にそうなるかどうか、ちょっと楽しみでもあります。
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新美 | 河内さんのギャラリー構想、宇野さんの基本構想はとてもうまく今も機能していると思います。それからここは児童館といっしょなわけですが、さきほど柿沼さんがいわれたようにここは学区がバラバラなだけに、ここに児童館ができたことは、とてもよかったんじゃないかと.....。
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河内 | そうですね。児童館によって下の年齢層の利用がある。さっきも申したように、年齢層の上と下は問題ないんですよ。上はお風呂があったりシルバーサロンなどでおいでになる、下の方は児童館に来る。問題は中間です。
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志村 | 何かいい方法はありますか?
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河内 | いろいろ問題はあると思いますが、「ゆう」がもっと幅広くなれるといいんですが。いつか、暴走族風の人たちが来て問題になった事がありましたね。ロビーでお茶のんで椅子をこわしたとかで、みんな心配してお巡りさんを呼んだりしましたが、勿論破壊行為はいかんが、たちまち排除と直結せず、そういう連中もここに来られる要素はあった方がいいんじゃないかと思うんです。そういう子供たちも、ここである人と巡り合って感動したらお祭りの実行委員ぐらいやってくれるかも知れない。彼らがここに来るということは、「ゆう」に来やすい部分があったからでしょう。そういう部分を含めながら若い人を考えていかないと。あれもこれも駄目という形になってしまうと次につながっていく施設にならないと思うんです。
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柿沼 | 桜丘駅前にできたヴィータなどは、音楽を自由にやれるよう防音室があって楽器もそろっています。若い人たちの利用しやすい場所といえます。残念ながら「ゆう桜ヶ丘」は思いきり音楽をやって発散できるようになっていないんです。
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志村 | ホールUがその可能性のある部分でしたが、児童館部分になってしまって、夜六時からしか使えません。
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志村 | 設計の方が、トイレは建物全体のイメージを決定するポイントだ、といわれてここはぜいたくに作られていますね。
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柿沼 | いまはドライブインみたいな所でも、ずい分きれいになりました。時代を先取りした設計でよかったですね。
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河内 | 児童館の工作室については、もっと相談にのってやれる部分があったと思っています。昼間は子供達がお絵かきなどに使って夜はわれわれが版画教室などをするということですが、いまは倉庫化してしまって半分は使えない、荷物でね。これは児童館にばかり押しつけずに、片付けなどはいっしょに考えないといけませんね。
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司会 | ここは最初から倉庫部分が少ないとは指摘されてましたね。
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河内 | 工作室は作業台があって、ちゃんとガスを使って理科のちょっとした実験とか、七宝焼きなどができるように考えられているんですが、いまはガスホースを使えるような状態にはありません。とてももったいないと思います。
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司会 | 会議室もホールも、できるだけの広さがほいしいという中で、ぎりぎりの選択をしたのですけれど。ホントに物置はほしいですね。
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志村 | でも各部屋に机と椅子を収納できる倉庫を最小限でもつけたのはよかったと思います。他の館をみると、部屋の半分に机と椅子を寄せて、半分しか使えない状態になっている例もあります。
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司会 | 欲をいえばきりがありませんけれど、住民の熱意や大屋さんのお力ぞえで千二百平米から千五百平米になったのですが、あと二百ぐらいあったら、なんて思いますよ。
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新美 | スペース問題だけでなく、金額的なプレッシャーはなかったのですか。
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司会 | お金の面ではかなり幸いだったと聞いてます。バブルで建設費がうんと高くなる直前に契約してあったおかげで、ずいぶん助かったんだと。後からできた乞田ふれあい館などの方が平米あたり単価が高いようですね。
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志村 | 幸いに土地も早めに確保してもらったから、わりにすぐできたんです。後の館は土地の買収からしなければならないので、なかなかはかどりません。いろんな意味で「ゆう」はいい時に作られたんです。
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伊東 | 原峰公園を上手に取り入れた建物にできたこともよかったですね。ロケーションがとてもいい。
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司会 | どうでしょう、昔から十年ひと昔なんて言いますが、このひと昔を考えてみて「ゆう桜ヶ丘」はどのように変化していったとお考えでしょうか。
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河内 | 建設協議会の頃は、個人の家のパーティーのような雰囲気のものが、ここで自由にやりたい、それにはある程度の収入を得て、専従の従業員もおいていろいろ目配りができる、こんな話もありました。大屋議員も「コミセンがある程度の利益をあげても、公正な還元が市民にできるならいいじゃないか」と言っておられた。ギャラリーではプロの展覧会や講演ができてもいいと思うんです。それには市の援助だけではできないから、収入を得たいという話はあったんです。
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新美 | 市はそれに対して、猛烈に反対しましたよね。
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河内 | ここは複合施設だから、お金はいかんということ。赤ちょうちんにしても、利益はみんな市が持っていくということでは力が入りませんよ。ギャラリーなども自由に絵が売れるようにして、売り上げのなんパーセントかを協議会に入れて使おうという、普通の画廊方式も考えたが、それはいかんということです。それでは収入源がないから、ただでやってくださいというのではよい企画をやりたくてもペースが落ちるのは当然です。
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志村 | 最初は建物は提供しますから、それを生かして市民の発想で特色を生かした運営をどうぞ、ということで出発したのです。職員に支払う給与の額もある程度まかせられていたほどです。それが他のコミセンがたくさんできて来ると、建物は市のものだということで、すべて市の管理が強まってきましたね。すべて横ならび、よその館と同じでなければいけない、ということですね。最初の地域の特色を生かした運営という理念はどこかに行ってしまいましたね。ある程度はしかたがないとは思いますが、規制が強まったのは事実です。
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新美 | ますます画一化されて、それでいやになって活動をやめていくというケースも多いですよ。
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志村 | 建設当時、私はここを利用する人は自分たちの税金でできているのだから、ということではなく、利用しない人もいるのだから、ある程度ペイするぐらいの利用料を出すという方向にしたらいかがですか、といいましたが、市では税金で作ったものだから市民からいただくわけにはいかない、ということでしたね。もう少し自己負担分を多くしておけば、財政的にはゆったりした運営が可能でしたね。
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柿沼 | 市も最近になって受益者負担なんていい出しているんですよね。十年前と経済状況も変わってきていますから、市の考え方が変化するのも、しかたがないと思いますけど.....。いまも当時のことで思い出すのは亡くなられた地域振興課の江原さんの言葉ですね。「すばらしい建物はできたけれど、これに魂を入れられるのは、あなたたち住民以外にはいないんだ。」とね。
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司会 | 市のいろいろな規定の中で、どうやって特色のある運営をして魂を入れてゆくかというのは大変な仕事です。音楽家をお呼びしようとしても、すぐぶつかるのが謝礼五千円という規定です。今度少し緩和されはしましたが、それでも質のよいものを求める住民の声とこれと、どう折り合いをつけていくか、大問題ですね。 |
新美 | 「ゆう桜ヶ丘」の一番の特徴は喫茶コーナーとギャラリーの二つでしょうね。
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伊東 | そうですね。これは十年たった今日も変わっていません。地域情報の発信地といいますか、フリーなコミュニケーションの場として桜ヶ丘にふさわしいものを作りたいということで実現したのが、いま新美さんのいわれたロビーでしょう。今までの施設にはないものですね。
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志村 | いままでのこうした施設は、何か目的がなければ行かない場所だったのです。お部屋を借りてサークル活動をするとか、おけいこをやるとかね。でもこのロビーは一人ぶらっと来ててコーヒーを飲んで新聞が読める。そしてお友達ができる。これはうまく機能しているんじゃないですか。
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司会 | それに、広いスペースを利用して、時にはコンサートや国際交流のパーティーやバザーなんかもやれます。
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新美 | 宇野さんの基本構想や河内さんのギャラリー構想とか、このロビー部分などに十分に生かされていて、それは十年たった今も少しも変わっていません。きっとこの精神は開館二十周年、三十周年を迎える時代まで引きつがれると思うし、またそのようにしなければいけませんね。
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