座談会 そして十年、これから十年出席者  佐藤 乙彦 (平成6,7,8年度管理運営部代表幹事)        山田 しのぶ(平成8年度広報委員会幹事、9年度管理運営部幹事、10,11,12年度管理運営部代表幹事      門脇 春男 (平成10,11,12年度事業活動部代表幹事)       武川 達也 (平成9年度広報委員会幹事、10,11,12年度代表幹事)      高宮 春雄 (平成6,7,8年度代表幹事、 9,10,11,12年度 監査)      堀竹 洋三 (平成12年度運営委員)      近藤 昇  (平成12年度文化学習部会幹事)司 会: 鈴木 琢二 (平成9年度文化学習部会幹事)日 時: 平成12年12月20日(水) 

顕在化してきた問題点

司会 では最終回の座談会をはじめます。今日は開館して数年、運営もようやく軌道に乗りはじめると同時に、さまざまな問題点もあきらかになってきた平成6年頃のお話からうかがいましょうか。

佐藤 私は会社の仕事が少しひまになって平成5年度からお手伝いをはじめて、6年から三年間管理運営部長という大役をおおせつかったんですが、その前年にゆうの第一回の規約改正がありました。例えば代表幹事の選出を別の選出委員会が行うことになっていたのを幹事の投票で決めようということになりました。個人の投票で決めようといっていたのに事業活動部は部として決めてきた。管理運営部はぜんぜん決めていないので、それは話が違うと一時中断して協議したりしてモメましたね。

高宮 結局は運営委員会全員、それも新旧全員の投票ということでやったんですよ。

佐藤 規約改正に始まって代表選出にクレームがついたことで、いろいろな面でも制度化が進んだような印象に残っています。それまでは管理運営部が何でもやっていたんですが、幹事会の司会も事業活動部と交代ですること。休みの方が議事録を取ることなども決めました。

司会 その他の問題点は?

佐藤 はじめてスタッフの全員交代がありました。教育について大変頭を使いましたね。全員が変わると利用者から不満も出てきます。前の人はこうしてくれたのにこんどの人はやってくれないとか.....。担当の平野さんなどにいろいろ教育ををしていただきました。当時はワープロのできる人も少ない時代で、週二回ほど夜間のワープロ講習などもやりました。

山田 貸室のルールなどもこの頃から大きな問題になっていたようですね。

佐藤 運営協議会と利用者団体との間で部屋の利用をどうするかですね。その後実情に合わせて何回か改定されているようですがこの時は全館で行う事業、夏まつりとかクリスマスなどの特別事業には予算も出すし部屋の優先使用権も認めることにしました。

近藤 館の自主事業と貸室とのバランスの問題ですね。最近はスムーズに行っていると思っていいんでしょうか。

佐藤 以後も変遷していますが平成7年の2月の会議で決めてますね。

高宮 佐藤さんが中心になって館の使い方の規定を整備していった。例えば、団体は二人からなのか三人なのか.....。

佐藤 当初市役所は二人で団体だって言うんですよ。そうするとあの広いホールに夫婦二人で来てダンスの練習なんかして、他の人が使えないというようなこともありました。

司会 二人からの使用を認める、みたいな教育的指導が役所からあったんですね。

佐藤 そうです。私は二人は複数であって団体は構成しない、少なくとも三人からだといって認めませんでしたがね。実際困ったこともありました。二人の登録で事務所代わりに使って、たばこは吸うし勝手にワープロを持ち込んで電気を使ったり。これを締め出す意味もあって利用を少しやかましくした。今年から五人以上ということになったそうですが、当たり前の話でしょうね。

山田 市も困ったのでしょう。今年七館目が開館するにあたって、コミセン管理面で、全館共通事項の一つとして、団体は五名以上ということになりました。

会計制度の変更とともに

佐藤 平成7年度は特に大きな問題はありませんでしたが8年度は例のO−157問題で夏まつりを中止するか、生ものを出さないで続けるかで大きな議論がありました。結局飲みものと乾きもの主体でやったんですが、やはりお客さんの入りはよくなかった。平成9年度は、市から突然会計制度の変更の話が出てきて、これはずい分時間がかかりました。問題は市が8年度の決算から新制度でやれという。9年度からならまあわかるが、年度途中からの変更とは何事か、会計担当が絶対やらないという。市と会計の間に入ってずい分苦労しました。

司会 会計制度の大きな変更点は?

佐藤 事業に対する助成金制度の適用でしょうね。それまではいささかどんぶり勘定的な部分もあったし、税金の使途のことですから、いわば当然なんですが、あまりにも唐突で、高宮さんなんか頭から湯気立って怒ってました(笑)。

司会 それまでは補助金一本だったんですね。管理運営の金も事業の金もごちゃごちゃだったわけですか。

佐藤 協議会内部では分けて計算していましたが、最終的な報告は一本だった。今のように助成金以外の参加費も報告するということはありませんでした。そこらが一番の問題点でしたね。

司会 私が聞くところですと、この会計制度の変更と期を同じくして、当初の各コミセンの個性、自主性を重んじて、それぞれの運営はできるだけそれぞれにまかせる、という市側の姿勢が大きく変わったとのことですが。

高宮 そのとおりです。最初は市のほうもコミセンの運営についてよくわからない。何をやらせればいいのか、何を指示すればいいのかほとんど暗中模索だったと思います。一方われわれサイドも同じようなものですね。とにかく予算があるから何かやりましょう。文化部、体育部、福祉部と均等に分けて事業をはじめたけれど、時間がたつといろいろわかってきます。市側もあんまりまかせっぱなしにしておけないぞ、ということになったんでしょう。

佐藤 会計制度が変わったのをきっかけに、市は6館の統一化、よく言えばコンピュターに乗せるために各項目を統一したかった。それから金は出すけど口は出さないという基本的態度から、バブル崩壊でなかなか金も出にくくなって、一番大きな問題は市議会から、もっと市として管理すべきではないかという声が起こったことだと思います。そしてコミュニティー対策会議とかいう特定の人間を集めて討議した結果をさまざまおしつけてきた。

司会 はじめにあったそれぞれのコミセンの個性、特徴を遵守するという姿勢は、だんだん形骸化したわけですね。

佐藤 これはいい面と悪い面とあります。各館で採用しているスタッフを全部統一化して配置するとか、事務長なんかも人をプールしておけば、共通化の役には立つ。しかし疑っては悪いけれど、根っこには市の高齢者対策で市の職員を持ってきたいんじゃないか、こんな声も多かった。これも今、市は性急には要求していませんが、コンピューター化と同時に、おおげさに言えば思想の統一化をする狙いがあるといっても過言ではないように思います。

個性はどこまで保てるか

山田 会計年度変更後すぐに多摩市コミュニティ行政研究会というのができまして、その中に協議会のあり方とかスタッフの使い方、役員のあり方、ボランティアはどこまでやるかなどが記述されています。そして次にはスタッフの職務内容、勤務時間などの共通化、事務局長の採用を打ち出してきました。振りかえってみると、市には市の方針が年度ごとにできていて着々と実施しているとしか思えませんね。

司会 その点についてここの運営に携わっている方々の反応はどうなんですか。

高宮 これは最初から携わった人と最近の人とは違いますね。古い人間は約束が違う、とんでもないことだと思っているけれど、最初からそういうものだと思って入ってこられた人もいる。自由裁量の部分が少なくなってもあまり抵抗がない。

武川 発足時は補助金を出して、これでうまく運営してくれよ、お金の使い方にしても一番いいと思うようにやってくださいということだったらしいですね。例えばスタッフに対する賃金も三年間に少しずつ昇給するように工夫をした。

高宮 私は初期に運営に携わったものですから、不正に金を使わなければいいじゃないか、各館の個性は十分に尊重すべきで自由の範囲は大きければ大きいほどいいと思っています。

武川 事業についてはみんなそう思っていると思いますが、会計処理や貸室のルールなどであまり個性を発揮されては困るという声もよくわかる。

高宮 喫茶コーナーで出た余剰金などは、運営協議会が個性を発揮するために自由に使うべきだというのが私の考えです。例えば今回の十周年記念事業には、もっと使ってもいいのではないか。今やこんな考えはとんでもない異端あつかいですがね。

佐藤 私はちょうど中間の意見かな。時代の流れとしてしょうがないのかなとも思いますが、これでも市にはかなり抵抗したんですよ。例えば夏まつりにしても、市はゆうの夏まつりは規模が大きすぎる、というようなことを言うから私は怒ったんです。だから今は別途組織を作ってそこに一部事業を任せるような変則的になってますよね、これで市の言う事業規模はよそ様並になってるんです。そうしないと帳簿上予算の数字が膨らみすぎるっていうんだ。

司会 実にくだらない横ならび思想としかいいようがありませんね。

高宮 二百万円の予算ではじめたら二百万円に収めなくてはいけない。みんなでいいイベントを作り上げてお客さんが集まって、参加費も集まって二百万円をオーバーすると叱られるというのは理不尽じゃないですか。

船頭の多い運営協議会

門脇 私は平成10年から中に入って見た立場と、それ以前は外から眺めていた立場とあります。一回目二回目の座談会を聞いていて、建設当時の参加住民の熱意、あれもしたいこれもやりたいという明治維新のような情熱を感じました。その後さまざまな問題点が発見されたり、市からも問題点の指摘があったと思います。やがてバブルがはじけ、財政不如意期になると、削られる助成金をどうカバーするか。その場合、今八王子市でやっているような貸室の実質的有料化になるのではないかな。ちょうど十年経つといろいろな事が見えてくる時期で、いまは根本的な見直しのときではないかと思います。

近藤 私が参加したときは、その種の規定のようなものが一応出来上がっていたんで、これもしょうがないかな、と思ってましたけど。以前を知らないから、このような施設を市から委託されていれば、ある程度コントロールは仕方ないと思います。

司会 堀竹さんは今年から運営委員におはいりになっていただいたわけですが、中に入って眺めたゆう桜ヶ丘はいかがですか。

堀竹 新参者ですから、あまり意見もありませんけど、なんかねえ、ややっこしいんですよ(笑)。市の予算がどうとか、協議会はあれやっちゃいかんとかね。私みたいに下で兵隊やってる分には楽ですけれど、なんかすっきりしませんね。ま早くいえばどうしても何かやりたいんなら、自分で金を払って部屋を借りてやればいいんですよ。そのほうがよほどすっきりする。

近藤 先日阿佐ヶ谷の方のコミセンに関わった方と一杯やりながら話したんですが、そこもここと同じぐらいの歴史なんですが、やはりバブル期はお役所が割とおおらかで、若い奥さん連中が情熱を持ってやっていたのですが、最近は区からもやかましく言ってくるし、情熱を持っていた奥さんたちもいなくなって、残ったのは年寄りばかりになって、ほんとにつまんなくなった。お役所仕事の公民館と同じになったとのことです。

武川 堀竹さんのややっこしいとお感じになるのは、どんな部分ですか。

堀竹 いやあ、すべてですかね(笑)。第一イベントが多すぎる。もう少し誰かが整理してトップをきめてその人の命令でやる、みんなが船頭で、昔はああだったこうだったとなると先へ進みませんし.....。

高宮 今年は十周年で特にイベントが多かったんですよ。

司会 堀竹さんの意見に私も賛成ですね。船頭が多い。代表なり事業活動の責任者なりが今年は重点的にこれをやるぞ、とお決めになったらみんながそれに従って盛り上げていくというようにすればすっきりしますよ。

高宮 いや、それではコミセンじゃないという声が多い(笑)。みんなに文句を言わせろ、文句をいうのがコミセンだというのはちょっと極端かもしれませんが。

司会 それをいつもやっていると、新しくコミセンのお手伝いをしてみようかという人も、やがていやになってやめて行きませんか。人間関係のわずらわしさみたいなものばかりが表面に浮いてきますからね。いくらコミセンはゲゼルシャフトではないとはいっても、完全なゲマインシャフトでもないわけですから、スムーズにことが運ぶための最小限のヒエラルキーはしっかり機能するようにしたほうがいいと思うんですが。

コミセンのものさしは何?

門脇 フレッシュマンとしての堀竹さんのご意見、まず半年やってみてどうだったかというと、何でこんなに一生懸命に何回も何回もいろんなことをやらなければならないのか、一体誰の指示に従えばいいのかというあたりが率直なところじゃないんでしょうか。まず予算ありきで.....予算があるからこれもやりましょうということで、全事業を数えるとすごい行事数になる。これに全部付合うのはかなり大変ですよ。そういうことを三年近くやってみて、これは相当のエネルギーがないとできないと感じています。しかもやればやるほど足を引っ張る人もいたりしますからね。

武川 船頭が多いというお話しだったけど、発言する人が多いという意味にとれば非常に結構なことですな。

堀竹 私のいっている船頭さんは、ハイ、カーテン吊りなさい、五分たつと別の船頭がなにやら別の理由ですぐ外しなさいと(笑)。上に立つ人は一人できちんと決めてほしいんですよね。仲よしクラブの言いたい放題。

門脇 ここでは、時として会議で決まったことがどこかでひょっとひっくりかえることがある。その辺が困るんです。大小にかかわらずそんなことが何回かあると戸惑ってしまいますね。会議を欠席した人が俺は聞いていない、ということもあるし。それほど堅苦しく考える必要もないけど、やはりいったん決めたら、その中で動いていくという方が物事は効率的じゃないですか。

武川 事業を運営する場合の責任体制はしっかりしないといけないけれど、みなさんで仲良くやるんだから、みんなの顔を立てて名前を書いてあげてという気くばりを責任者はちゃんと意識してやってほしいんですよ。みながボランティアで対等の立場だから責任者という言葉も角が立つというわけで世話やき、なんていってますけども。その世話やきですら、いやあの人だけに世話やきをやらせちゃいけない、何人かその下にくっつけなさいというようなことになって名前がどんどん増えてくる。本当は責任者が一人いてその下につくお手伝いさんが一人としたいんだけど、あの人の名前も書いておかないと悪いとか、あの人は名前を出しておかないと仕事をしないとか、そういう話でね。

佐藤 その問題は、初期の方々は市から任されたコミセンというものを、一人ひとりが対等の立場で任意にやっていく.....つまり組織というものはあまりいらないと考えておられるのかと思います。僕なんかはどちらかというと会社人間なんで、やはりこれだけの組織体を動かすには、責任を持つトップのいる組織でなければだめだという立場です。こういうもちつもたれつの関係であっても、これをある程度しっかり考えないと責任がどこにあるのかわからないことになってしまう。まあ高宮さんを前において申し訳ないんですが、この辺が古い方との一番の争点で、これは永遠の課題なのかもしれません。

司会 この問題、唯一の女性でいらっしゃる山田さんはどう考えられますか。

山田 男の方たちはいつまでも会社人間を止められないんだなあと感心してます(笑)。コミセンにも組織はもちろん必要ですけれど、例えば会社ですと営業とか利益を上げていくというはっきりした目的がありますけれど、ここに携わる人たちは価値観もそれぞれで、そういう人たちが集まって少しずつでも力を出し合い、認め合ってひとつのことを作り上げていくという、会社にはない面白さがあるんです。価値観の違う人の持つそれぞれの良いところをピックアップして、長となる人がうまく進めていくと、少し効率は悪くてもとてもいい会ができると思うんです。そもそも出だしが一致していない集合体だから、あまりぴちっと組織を作ってもうまく機能しないような気がします。みなさんがそれぞれ理想にかかげておられる事を仕上げていくにも、とても煩雑で細かいことでも意見を出し合っていく必要がコミセンにはあると思います。このプロセスがコミセンの活動の中心ではないかと思います。

司会 会社ですと物さしは利益とはっきりしていますが、ここは十人十色の物さしがある。鯨尺の人もいればインチを使ってる人もいるわけで、その中で組織をつくっていくのはとてもむずかしい。

武川 ある程度共通する物さしをコミセンに置くとするとなんだろう?

堀竹 お金以外のすべてですかね(笑)。

武川 大変抽象的なことですが、私はコミセンというのは、そのエリアに住んでいる人たちの環境をよりよくするということが共通の物さしかな、と思うんですよ。そういう最終目的を目標に、ある人はお年寄りを大事にしよう、子どもを大事にしよう、ある人はお父さんお母さんに喜んでもらえることをしよう、とそれぞれ努力する。なかなかうまく伝えられませんでしたけど.....。

司会 富士山の頂上はみんな一緒。例えばいい音楽をできるだけ手軽に聴いて喜んでもらおうという人は御殿場口から、年配者へのサービスをやってみようという人は吉田口から登山するという違いがあるだけ、ということですね。

武川 どんな事業でも最終的にはこの地区に住んでいる人に喜んでもらえるものであってほしい、ということですね。それでまず子供たちを大事しよう、ということを発言したらたちまち“いまさら何言ってんの、そういうプログラムをなんどもやって、なかなかうまくいかないの”と言われてしまいましたが、私はそんな即効性を考えているわけではなくて、なにか夢のあること、小さい時のあのお祭りは楽しかったなあ、というような思い出に残ることをやっていれば十年後に子供が親もとを離れても、やはり桜ヶ丘はよかった、ひいては親と一緒に住んでみようかなーなんて思ってくれるんじゃないかと思ったんです(笑)。

高宮 その考えはね、初代の森島さんもその思想でやっておられた。二代目の私がうまく引き継がなかったかもしれませんが、まず皆さんもそうお考えと思います。

後継者ありやなしや

司会 もう一つ、これは将来への問題でもあるのかと思いますが、ゆう桜ヶ丘は大変に熱心に一所懸命にやってくださる方がおいでになって、それは非常にありがたい事だし、そうした努力もなしにこの十年はありえなかった訳ですが、別の見方をしますと、それあるが故にゆう桜ヶ丘は近寄りがたい、入り込めないと思っておられる住民もないわけではない。世代交代が行われないというのは大問題ですね。当然みんなだんだん年を取ってきて体力もおちる、夏まつりの櫓も組めなくなるという由々しい事態(笑)。こうしたバリアを乗り越えて比較的新しく参加された近藤さん、堀竹さんあたりは、何かいいアイデアをお持ちではないですか。

近藤 桜ヶ丘は若い人の数が本当に少ないですよ。僕らの次の世代が離れていってるご家庭がとても多い、コミセンの将来展望も暗いと言わざるを得ませんね。

門脇 コミセンには、住民の方が自由に使える貸室業務と運営委員会が住民のために企画する自主事業との二つの柱があるわけですが、将来は貸室業務の方により重点を置いてゆくと割り切って、利用の手続きなどをよりよくして、あなた方、グループを組んでいろいろ計画して自由にやってください、っていう姿勢にしていっても、必ずしも時代の流れに相反しないのではないかと思います。今まで行ってきた数多くの事業を見直してみて、反省すべきは大いに反省して主催事業を少しずつでも減らしてゆくべきではないでしょうか。

司会 後継者問題を考えると、そうせざるを得ないという部分があるかもしれません。しかし、これもあくまでバランスの問題ではないでしょうか。 武川さん、山田さんあたりが一番よくご存じでしょうが、貸室利用者のそのあたりの意見はどうなんですか。

山田 利用者懇談会というものを定期的にやっていますが、おおむね良い評価をいただいています。ホールTは音響もよくてコーラスや音楽活動の利用が楽しみだとか、スタッフの対応もとてもいいと。小さな、お水を飲む機械がないというような不満はありましたけど.....。

司会 根本的な不満はありませんか。

山田 今年は十周年記念行事が多かったためふだんより部屋が取りにくいという声は少しありました。

門脇 利用者懇談会に出席される方からは「非常にありがたい建物です」という声が出ますが、時間割り、コマ割りについては今の午前、午後、夜間の三つが四つ割にならないかという意見もありますね。

武川 コマ割りについては市で決めたものでやっていますが、まあ叱られるかも知れないが時に応じて適当にやっている場合もあるんですよ。午後二時間でいいものは、後の時間を別の利用者に使ってもらうということですね。

門脇 たてまえでは、また貸しということになっていけないでしょうが、午前、午後続きの使用も同じですが、場合によっては規則外もありという考えですね。

武川 私はコミセンに関しては地域エゴイストで貸室であれ何であれ地域外の人がきて使うのに反対まではしませんが、通常のサービスだけでやっていればいいと思っています。

司会 地域というのは桜ヶ丘ですか多摩市ですか。

武川 桜ヶ丘です。桜ヶ丘の住民が便利よく使ってくれればそれがベストであって、基本的にはよその地区の人に少々の不満があっても、これはかまわないということ(笑)。それでなかったら桜ヶ丘住民である運営委員が幹事になって苦労している意味がありません。公民館は多摩市全域の人にサービスしなければならないけど、コミュニティーセンターは市内を十七に別けてその地域の人のために個性あるサービスを行うのがたてまえですから、差があっても少しもおかしくありません。これはエゴでもなんでもないと思っています。

司会 近い将来、地番は桜ヶ丘ではないけれど、ごく近くに三井の大規模な開発が完成します。桜ヶ丘住民のため、といってしまうと誤解を生む可能性がありませんか。

武川 これは会則の改訂を考えなければいけないでしょう。共通の利益を持ち、共通の関心と共通の汗を流す地域の人びと。べつに町名によって排除するなんてことではない。そのかわりそこの人たちにも運営委員なり幹事なりをお願いして仲間に入っていただければ問題はありませんね。

山田 いまの地番のことに関して、記憶にとどめておいてほしいのは8年度にゆう桜ヶ丘の地名が貝取から桜ヶ丘に変更になったことです。高宮さん、佐藤さん、門脇さん、中野さん、川俣さんといった方々が大いに働いてくださいました。

佐藤 あれは地域振興課の手落ちで、完成当時から地番変更の際は必ず桜ヶ丘に、と申入れがしてあったにもかかわらず、この書類が都市計画課に提出してなかった。

高宮 ふたを開けたら関戸になっていたのでびっくりしました。おかげで市議の大屋徳子さん、小林一郎さんには随分努力していただくことになった。

門脇 新しい住宅地、関戸六丁目ですか? これを一本の線で分けることなどすべきではないし、またできもしません。お互いに持ちつ持たれつでやればいい。

近藤 むしろ大勢の人に来てほしいと思いますね。かならずや、新しい地域の方が世代も若いに違いない(笑)。

堀竹 いや、若い人なら入ってくるのはたいへんなんじゃないかな。今のまんまではちょっと入ってこられない。

司会 いきなり積極的に幹事になってもらわなくても、利用してもらうだけでも若返るんですよ。

佐藤 距離的にもごく近しい、利用頻度は一番多くなると思いますよ。

武川 まず町会を作ってもらって、その町会が桜ヶ丘の連合会に入るという形になるのが望ましい。連合会であそこは別々の町会ということになると、ちょっと夏まつりにしろ、いろんな行事のたびに同じ話を二回やらなければいけないことになる。

二十周年をイメージする

司会 そろそろ格好をつけるために結論にふれていただきたいと思います。今まで十年たちました。さてこれからの十年はどんなゆう桜ヶ丘であったらいいのか、どうすれば理想的な形で二十周年記念を後輩諸氏に祝ってもらえるのか。ひとつイマジネーションをふくらませてひと言づつお話しをうかがいたいのですが。
佐藤 先程、門脇さんがいわれたことと重複しますが、コミセン活動には運営協議会主導によるいわば能動的活動と、館の利用者にできるだけサービスを提供していくという受動的な活動と二面ありますね。どちらも大切であるわけで、うまく使い分けていかなければなりませんね。館主体の運営ばかり多くなってしまうと、従事するボランティアからも利用者からも不満が出てきたりする。行事をすることによって、この館の存在価値を高めて、多くの人に来てもらうという本来の目的と相反した結果になることを恐れますね。なかなかそのバランスを見極めるのはむずかしいから、ある時期は意識的に受動的に運営してみて、またある時能動的にやってみる、こうして程よい点を見つけ出してゆくのが一番の理想ではないでしょうか。

山田 私は管理の仕事をずっと担当していますので、管理の繁雑な仕事は人が変わってもすぐわかるようになるべくルーティン化していくようにしたいですね。

司会 事務長職の就任のことも含めて少し教えてください。

山田 さいわいにも初代事務長は桜ヶ丘の方で、われわれ運営委員とのコンビネーションもよくて本当に助かりました。管理の仕事は全館共通でなければならない部分も多いわけですが、それ以外では、それぞれの館の個性的な部分が誰が見てもわかるようになったらいいと思います。スタッフの仕事は非常にむずかしい受付業務がありまして、市の仕事もしなければならない、コミュニティーの少し忘れっぽくなっている方などのお世話もある、そしてそれぞれ大変に個性的なボランティアの運営委員の面々とも協力してやっていかなくてはなりません。私自身秘書の経験がありますけれど、これをローテーションを組んで、いつも同質に行うのはなかなか大変です。それから先程来行事のことや、新しくこれに参画するのがむずかしいということでしたが、私は今まであまりに高い完成度求めすぎた部分もあるような気がします。肩の力を抜いて、失敗したっていいじゃない、参加することに意義があると思って楽しくやれば新しい人も入って来やすくなりますよ。

司会 ありがとうございます。では次に門脇さん十年後のゆうの姿を.....。

門脇 十年先というと生きてるかどうかわかりませんが、さしあたってゆうに行けば、なにか光っているものがある、散歩の途中に立ち寄ればギャラリーで何かやっている、そうした小なりといえども文化の発信源になれたらいいと思います。あと、私はどちらかというと現在より、受動的な貸室の方に少しスタンスをを置いていったほうがいいように思いますね。単なる貸室業務ということでなく、例えば今年の十周年の秋まつりということで、ふだんここを練習に利用されているコーラス関係の方たちが、ちょっと声をかけたらわっと集まってくださって、とてもいいイベントができました。ここを利用されている方と力を合わせて、われわれの側は発表の場を提供すればいいわけでね、これからは運営協議会の行事を少しへらして、こうした方向のことを考えた方がいいんじゃないでしょうか。

司会 では代表の武川さん。

武川 運営協議会の行事の一番大きなものは夏まつりですが、本当に暑いし、何でこんなことやらねばならんかといつも思うんですが、あれだけたくさんの人、特にお年寄りが孫たちを連れて遊びに来てくれているのをみると、やっぱりやらねばならんという気持ちにもなるし。

司会 運営委員の老齢化というきびしい現実があります。

武川 十年後を考えると貸室の管理業務などはますます官僚化していると思います。スタッフや事務長の仕事の範囲なども右に同じとなってくるだろう。そんな中で今までのようなボランティア的ムードをどこまで維持してゆけるか、ちょっと心配です。次にはお金のこと。従来から市は予算をくれていますが、多分これはだんだん少なくなっていきますね。となると自主財源の今以上の確保、自分らでかせいで事業をやっていくことになります。年間数百万円単位の予算を自分たちで集めるとなると、今のような任意団体でやってゆけるかどうか。NPOのような法律的なしっかりした組織も視野に入れる必要が生じるかもしれませんね。それはそれで大仕事になりますけど。

門脇 予算が出ないといっても管理運営の責任はあるわけだろうから、潤滑油的な事業への補助をどうするかってことですね。

佐藤 まあ、タックスペイヤーの立場から言えば利用者負担すべきでしょう。

司会 しかし市民による文化活動の支援というのも市の大切な文化予算のひとつだと私は思いますよ。必ずしもお金をいただいているから肩身がせまいと思うの必要はないんじゃないですか。それが有効に使われているかどうかは大きな問題ですけどね。

高宮 私も十年後にはもう市からお金をもらわないで、そのかわり市から文句もいわれないで自由にここを文化施設として活用していくのが理想だと思っています。受付のスタッフなんかもボランティアで町内の人間がやるんですよ。

堀竹 私はたいした意見もありませんが、先程もいったように、ここで何か楽しくやる人は、自分である程度負担をした方がいいとは思います。勉強をするにしても自分でお金を出してやることはよく身につけんじゃないですか(笑)。

司会 自分で買った本は読むけれど、もらった本は読まないようなものですね。では最後に近藤さん、お願いします。

近藤 二つあります。一つは毎月のさくら通信は配られるのがとても楽しみでね、今月は何と何があるのかと。中身があまりないとがっかりします。自分のスケジュールに合わせてこれは出席できそうだ、なんて大変うきうきしたりしてね、そういう意味でゆう桜ヶ丘の事業運営はますます充実させて二十周年を迎えてほしいですね。もうひとつこれと表裏になりますが、今度は十周年ということでとてもエネルギーがあったのですが、来年、再来年とこれが続くのかな、と少し不安に思います。話は飛びますが八王子市にはFUSION長池というNPOがありまして、南大沢の新興住宅地ですが、コミセンもないし当然予算もない。そうした中で地域の管理組合的なものから出発してここと同じように夏まつりや子供たちに蒸気機関車を走らせるといった行事を自分たちのお金だけでやっています。富永さんという肝いりの方の本やパソコンのホームページを見ると、その努力には感心してしまいますよ。あれがコミセンの将来の姿なのかな、なんて思ったりしています。

司会 本日は長時間ありがとうございました。


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